2005年 09月 11日
愛するものからつきつけられること
踊ることは本当に好き。
さっぱり上達していないことを自覚しつつ、でもずっとずっと好き。
これから先、死ぬまで好きだろう。
だからこそ。趣味としてしか関わっていないのに、踊ることで悩むこともある。
音感や運動神経に関しては、小学生になる前から諦めているので今更。容姿も同様。
自分が「向いていない人間」であることは、小学生になる前から分かっていた。
でも、表現すること――踊り自体は、そういう先天的なものだけじゃなくて、経験的な要素や人間性も構成要素のはずだ。
だが、私の踊りは、幼い頃からずっと同じ短所を抱えたままだ。
それは型に嵌っていて、
小さな立方体の箱の中で踊っているみたいで、
何を踊っても似た雰囲気になる。
要は、「枠からはみ出せない」。
踊りは、踊り手のあり様を反映する。それは、私のようなヘタッピでもそうなのか・・・
なんともコメントしようが無いくらい、私の踊りに対する評価は、私自身への痛烈な指摘だ。
さっぱり上達していないことを自覚しつつ、でもずっとずっと好き。
これから先、死ぬまで好きだろう。
だからこそ。趣味としてしか関わっていないのに、踊ることで悩むこともある。
音感や運動神経に関しては、小学生になる前から諦めているので今更。容姿も同様。
自分が「向いていない人間」であることは、小学生になる前から分かっていた。
でも、表現すること――踊り自体は、そういう先天的なものだけじゃなくて、経験的な要素や人間性も構成要素のはずだ。
だが、私の踊りは、幼い頃からずっと同じ短所を抱えたままだ。
それは型に嵌っていて、
小さな立方体の箱の中で踊っているみたいで、
何を踊っても似た雰囲気になる。
要は、「枠からはみ出せない」。
踊りは、踊り手のあり様を反映する。それは、私のようなヘタッピでもそうなのか・・・
なんともコメントしようが無いくらい、私の踊りに対する評価は、私自身への痛烈な指摘だ。
by ami-cizia
| 2005-09-11 23:29
| まひ(舞)