2006年 09月 29日
物思はする薔薇
若山牧水 歌集『みなかみ』より
1番目の歌を、「薔薇を愛するハゲに・・・」と読み間違えたのは私だけでない…よね?
きっちり5・7・5・7・7の歌が好きなのですが、なんか気になって。
もの思いを誘うといえば、月、という連想をする(安易・笑。Cf.「かこちがほなる~」)けど、薔薇もなかなかやるね。
この薔薇の部分を、同じくバラ科の桜にしたらどうなるんだろ?とか考えてみたけど、
そうすると自己愛というかナルっぽい雰囲気が出ない気がする。
単位が個じゃなくなるというか、思考するほど個体じゃなくなるというか。
花瓶の薔薇を見つめて思考に耽溺しても、自分と薔薇は隔絶されているけど、
桜樹の下で思考に浸ったら、なんかのみこまれそうな気がするといえばいいのかな。
これは単に花の形態の違いに起因するものなのか。
薔薇を愛するはげに孤独を愛するなりきわが悲しみを愛するなりき
じいつと薔薇に見入るこころ、じいつと自分に親しまうとする心
しかたなさにばらを見てゐるのかも知れぬあかい薔薇、つめたい薔薇
考へだせばみなからつぽのやうに思へてくる、机のうへの冬薔薇の美しいこと
きっちり5・7・5・7・7の歌が好きなのですが、なんか気になって。
もの思いを誘うといえば、月、という連想をする(安易・笑。Cf.「かこちがほなる~」)けど、薔薇もなかなかやるね。
この薔薇の部分を、同じくバラ科の桜にしたらどうなるんだろ?とか考えてみたけど、
そうすると自己愛というかナルっぽい雰囲気が出ない気がする。
単位が個じゃなくなるというか、思考するほど個体じゃなくなるというか。
花瓶の薔薇を見つめて思考に耽溺しても、自分と薔薇は隔絶されているけど、
桜樹の下で思考に浸ったら、なんかのみこまれそうな気がするといえばいいのかな。
これは単に花の形態の違いに起因するものなのか。
by ami-cizia
| 2006-09-29 19:38
| ことのは(言の葉)